隠岐の島x12年ぶり:「隠岐古典相撲大会」1勝1敗の真剣勝負

深夜2時でもおかまいなし。夜を徹して肉体と肉体がぶつかり、呼び出しの声が宙に響きます。清めのはずの塩が雨のように力士に降り注がれるも、それは叱咤ではなく激励の証。2024年9月14日に12年ぶりに開催された「隠岐古典相撲大会」は、日本国内でも滅多にお目にかかれない神事なのです。

神事としての相撲大会

相撲の起源を遡れば、それは古事記や日本書記をたどり、はたまた神話の時代まで。天照大神より遣わされた神様が力比べで相手を投げ飛ばしたことが起源と聞けば、神々の島と呼ばれる隠岐の島でお相撲が盛んであることはまったく不思議ではありません。

日常から相撲大会が開催され、島内には土俵も多くある隠岐の島。しかし、「隠岐古典相撲大会」は島で何かおめでたい事が起きた時のみの開催。それは新しく病院が設立されたり、ダムが竣工されたり。2024年は町政20周年を記念し、12年ぶりの開催が決定されましたが、次回はまだ未定です。

幻想的な夜の土俵入り

特徴的なのが夜通しで相撲が取られること。17時に始まり、若手から徐々に年齢や重量が上がっていきます。

地区の若者が出場するのだから、その地区の先輩、お母さん、お父さんはもちろん、おじいちゃん、おばあちゃんといった大勢が気持ちを込めて応援。22時に訪れてもまだまだ熱気は冷め止まない雰囲気で、この調子が一晩続くことに島民のお相撲に対する熱意が感じられます。

お相撲は一番勝負ではなく、2回行われるのもポイント。これは勝ち負けをつけず、1回目に勝った人は2回目に負けることで1勝1敗にするため。勝ち負けをつけず、引き分けにすることから人情相撲とも呼ばれています。その後、お互いの健闘をたたえるために担ぎ合います。

とは言っても、最初に負けたい人はいないのだから1回目の取り組みは真剣勝負。力士、観客ともに熱の入りようが明らかに異なり、固唾を呑んで見守ります。

他にも特徴なのが、「飛びつき五人抜き」と呼ばれる1人が5人を連続で倒すまで終わらない取り組みのこと。屈強な力士1人を倒すのでさえ骨が折れるはずなのに、それを5人連続で戦うのは壮絶を極めます。3人目、4人目の時点で本人はふらふら状態。それでも挑んでくる相手を返り討ちする雄姿に会場はさらにヒートアップするのです。

土俵入りの際、屋号などを呼ばれますが、その際に必ず聞くのが「おっつぁん」もしくは「あんさん」という言葉。実はこれは長男もしくは次男以降を示していて、結婚相手を探すのに役に立った昔の名残です。移動手段が不便だった当時は、どの地区にどんな人がいるのかも分からなかったため、島民全員が集まるこの機会に自慢の息子をお披露目するのにも隠岐古典相撲大会は一役買っていました。

佳境を迎える翌日

相撲大会に出場することは名誉であり、大関や関脇といった役力士なら尚のこと。闇夜に浮かんでいた土俵が、徐々に空が明るくなり、会場全体が太陽に照らされると、夜通し取り組みを行っていた力士も、それを見守っていた観衆も極限の状態に。徐々に登場する力士の年齢が上がっていき、迫力が増していきます。

最後を飾るのは、もちろん正三役。関脇、大関はこの舞台に上がるまでに相当な量の稽古を積んできたのは明白。その敬意を表して、相撲が終わると土俵の四隅に建てられた柱を抜き、力士はその柱にまたがって、かつがれたまま自宅へと帰ります。そして柱は家の誇りとして軒先に飾られていくのです。

夕方から翌日の午後まで行われる「隠岐古典相撲大会」。取り組みの数は300を超えると聞き、撒かれる塩は1トンにも及びます。力士が主役でもあるこの大会ですが、全力で力士の名前を読み上げる呼出、一瞬も見逃さないよう目を凝らし続けた行司、声援と塩で力士を鼓舞し続けた島民と、誰一人欠けても成り立ちません。熱気が渦巻いていた土俵では、きっと神様も固唾を飲んで見守っていたはずです。