【旅記事】星のや富士x真冬:砂時計がひっくり返った瞬間

木々の葉は落ち、呼吸すると肺が凍るような寒い山梨県の冬。春から秋にかけて賑わっていた時期も落ち着き、凪の時期に「星のや富士」に滞在してきました。鈍色の建物は無機質で、派手さを求めない山居にぴったり。渋茶の森に囲まれながら、冷気を鼻の奥で感じるも、全然寒さが苦にならない。だって、冬の醍醐味のこたつがありますから。しかも、外にです。ここにいると1分の時間の長さに励まされます。

15:10 開始時間と同時にチェックイン

河口湖周辺の探索に後ろ髪をひかれつつも、星のや富士に泊まるなら早めの到着に越したことはありません。到着した時点で、数組の方々がすでに待機中。丘のふもとでチェックインを行い、ここからスタッフさんの運転で中腹に構えるキャビン(客室)へ向かいます。

レセプションの壁一面には、黄色・黒・緑・灰色のリュックサックが飾られ、まるでブティックのよう。形も可愛く、気になっていたところに、

「お好きなものを1つ、お選びください」

という魔法の言葉を聞いて、ここがアウトドアに力を入れたグランピング施設だったことを思い出します。

リュックサックの中には、空気で膨らむ座布団、野鳥を見つけるための双眼鏡、暗くても探検家気分で進めるヘッドライトなど、1度きりなら買うのが惜しまれる装備品ばかり。

これらの道具は滞在中、好きに利用可能。木の棒だけだった勇者の装備品が、これで一気に鎧に兜、武器まで揃って冒険に繰り出せます。気に入ったらリュックはフロントデスクで購入もできます。

15:30 キャビンに到着

大きなブロックが積み重なったような、コンクリート造りのキャビン。白い壁紙にウッド調の家具と寡黙な装飾のおかげで自ずとここの主役は窓の外だということを伝えています。

星のや富士に訪れるなら、数時間でも数分でもいいので晴れてほしい。午後の柔らかな光を浴びた富士山は、日本人だけでなく海外の人でさえも、その端正な山容にため息がこぼれるはずです。

そして、富士山に一番近いベランダには、春~秋はソファだけの場所(それでも十分な特別仕様ですが)に、冬ならではのこたつがセッティングされています。足を入れればぬくぬく。椅子と背もたれが柔らかく、一度入ったら出られない居心地の良さに、早くも悦状態です。

お風呂も住宅と大して変わらないサイズですが、窓があるので広く感じ、しかもここからも富士山が見えるので半露天のよう。

「シンプルかつミニマムに設計」と称するだけあって、持て余さない広さの部屋。ベッドに机とソファ。生活に必要なものは片手で足りるんだと今後の部屋づくりに生かせそうです。

キャンプで好まれるカップ、注ぎ口がおしゃれなケトルも素敵でした。

16:15 さぁ森の中へ

キャビン一帯のさらに上、森の奥にはフロント、ダイニング、木漏れ日デッキ、クラウドテラス、ライブラリーカフェなど、複数の施設があります。

急な階段の連続ですが、ところどころにあるハンモックやベンチがあり、寄り道しながら向かえば楽しい道のりです。

そして15時からはクラウドテラスで、嬉しいおやつタイム。あたためるというひと手間が加わったバウムクーヘンは、特別なスイーツに早変わりです。

ほかにも焚火で自らマシュマロを焼き、ビスケットに挟むスモアづくりも。日本のカレーのようなアメリカで定番のキャンプ食ですが、自分好みの外はカリッ、中はもちっと仕上げられるので、無言で取り組んでしまいます。

そして、極めつけは17時からのスパークリングワインのサービス。おやつに加えて、この飲み物も無料で堪能できる時点で、心はがっつりと握られています。

刻々と空が暗くなり、ろうそくに灯される火。食前酒を味わいながら、太陽と一緒に一日を締めくくれるのも、日常では難しい、ここだから可能なアクティビティの1つです。

18:30 ジビエのディナータイム

夕食はメインダイニング、アウトドアダイニング、キャビンの3つから選べて、今回はメインダイニングへ。入った時点で、お肉の芳しい香りに迎えられ、胃も心も準備万端。

美味しいものをちょっとずつ食べたいという女子のわがままを叶えた前菜、ほかほかなパン、瑞々しくてほぼ水分とも言えてしまう野菜、そして、鹿と牛のステーキにデザートというコース仕立て。

夕食では、鹿肉に一番驚きました。やわらかな弾力のなかに、ほどよい脂が味わえ、噛めば噛むほど、鹿の虜になりそうです。

地域で獲れたお肉だと聞き、森のものを食べて育った鹿だからこそ、くどくない味になるのかなと思い、鹿というより、森そのものを私はいただいているんだなぁとしみじみ感じてました。自然のごちそうは、美味しいの一言に尽きます。

21:00 夜の遊び場へ

夕食後も、夜の催しが開催されると聞き、クラウドテラスへ。階段を上り下りすることで、満腹な身体が活性化し、罪悪感も薄まります。

木漏れ日デッキには、キャビンと同様に複数のこたつが置かれ、ここではボードゲームに皆さんが夢中なよう。

こたつごとに異なるボードゲームが準備されていて、私たちはフランス版の五目並べ、クイキシオをプレイ。

「カタン、トントン」
「あれ~」、「やったー!」

あちらこちらで交わされる音と声は心地よいBGMとなり、最後は子守唄へ。眠気と満足感を感じながら、滞在の前半が終了です。

7:30 起床

鳥のさえずりで目を覚ます、ことはなかったです。キャビンの防音設備がしっかりしてました。むしろ、天気は雨で、雨が降っていたことも早朝の富士山を見ようとカーテンを開けた瞬間まで気付かなかったくらい。霧に包まれた河口湖は、昨日とは違う幽玄な姿でした。

8:00 森の珈琲屋さんで目覚めのひとときを

8時からクラウドテラスでコーヒーサービスがあると聞き、それを目当てに起床しました。

外は雨、でも大丈夫。どんなに濡れても、ホテルに備え付けの長靴が守ってくれます。クロックスの長靴は私の25cmの足にもぴったりでした。昨日から愛用している厚手のコートに包まれながら、上を目指します。

スタッフさんの柔和な笑顔に癒され、飲み物を淹れてもらいます。コーヒー、もしくはお茶の選択肢。この時、お茶はゴボウ茶のミルクティーという珍しい響きに惹かれ、お茶をチョイス。ミルクとゴボウ茶を半々、そこにハチミツを加えた飲み物が冷えた身体をじんわりとあたためます。

しとしと。久しぶりに雨の音を聞いて、その気付きさえも朝の会話の1コマに。濡れたウッドデッキがキャンバスとなり、森の新たな表情を発見した気分です。

8:50 いよいよクライマックスの朝食

朝食の選択肢も3つ。夕食と同じ会場のメインダイニングに行くか、朝のコーヒーを飲んだクラウドテラスで自分たちで作るか、強力(ごうりき)さんにキャビンまで背負ってきてもらうか。

強力さんとは、富士山を登頂する際に荷物を背負うことを生業としてた人たちのこと。その人たちが使っていた登山リュックのような道具を背負子(しょいこ)といい、その背負子に担がれて私たちの朝食が届けられるのです。

強力に扮するスタッフさんの演出、そして河口湖で盛んな釣りで使うタックルボックス(ルアーなど収納する道具箱)をイメージした入れ物に朝食が入っているというこだわりで十分気持ちは高揚しますが、さらに富士山を見ながらこたつで食事ができるということで、このモーニングBOXは人気だと聞き、大いに納得です。

モーニングBOXの中身は、もぎゅっと手で分けられるほど柔らかいパン、冷えた身体が温まるキノコのクリームスープ、ジューシーなソーセージにスペインオムレツ、山梨らしいブドウが入ったサラダ、桃のジャムと相性抜群なヨーグルトなど。

これは魔法の箱ですか?と思うほど品数が豊富で、だからこそ時間や周りを気にせずゆっくりと食べられる環境も良かったです。

9:30 何もしない贅沢

チェックアウトは12時。あと2時間半もあると思うと、何かしなくてはいけないような気持ちに駆られてしまうものの、手の届く範囲にあるのはドリップコーヒー、こたつ、そしてBluetooth対応のスピーカーくらい。

散歩をするにも外は雨。二度寝をするか、朝風呂をしようか。と悩んでいる間も、こたつの温もりが捨てがたく、こんな境遇も滅多にないかという言い訳と語尾を上げた「しょうがないよね」を自分に言い聞かせ、ただ目の前の景色を眺めてました。

富士山も霧に隠れた、午前の河口湖。しとしとだった雨音は、ぽてぽて、ぱらぱら、サーーと微妙に音を変えて耳に届きます。そして、大体15~20分ごとに時計を確認し、1分という時間の長さに驚いてました。

15分って意外と果てしないなぁと実感してたら、ふと砂時計が頭に浮かびました。それも底にたまった砂を上にひっくり返す、あの瞬間が。

1分、2分と細かな時間で回る日常では時間は有限で、だからこそ足りない、短いと思ってしまうこともしばしば。手の中から零れ落ちる砂のように時間はさらさらと過ぎていきます。だからこそ、落ちていく、失ってしまう時間を惜しんでしまいますが、ここにいると短いと思っていた時間が実は長いものだと気付きます。

その発想の転換が砂時計をひっくり返す動作と繋がって、時間って意外と長いし、たっぷりあるんだよ、だから大丈夫って思えてきて、励まされるのです。

11:50 浸りつくして再出発

チェックアウト間際。普段なら惜しまれるはずが、不思議と満ち足りてました。もう自分はリセットできて、だからこそ新たな気持ちで日常に戻っていけると。

何かを取り組むにしろ、時間は潤沢にあるのだから思う存分やってみたらいい、そんな言葉が聞こえてきて、背中を押されます。

12:30 振り返りながらの帰途

「冬の山梨は魅力がないんですよ」
と、山梨県の方が言っていました。果物も狩れず、ワインも解禁してないし、富士五湖に添える花も咲いていない。確かに。

だけど、ここには唯一無二の象徴があって、春夏秋冬で変貌する自然がある。そして忙しい私たちにこそ必要なものは、もてはやされない程度の歓迎と気を遣わずにすむ空間なのかもしれない。

あの時、反論することができなかった私ですが、今ならこう切り返したいです。
「富士山と湖と森、それにその魅力を堪能できる場所があれば十分じゃないですか」


<星のや富士の基本情報>
住所:山梨県南都留郡富士河口湖町大石1408
電話番号:0555-76-5050
アクセス:中央自動車道・河口湖ICより車で約15分
https://hoshinoya.com/fuji/